折口信夫『死者の書』のモデル 山越阿弥陀図(大倉集古館)

現在、大倉集古館で開催中の「欣求浄土 ~ピュア・ランドを求めて ―大倉コレクション 仏教美術名品展―」からの1点は、冷泉為恭が描いた「山越阿弥陀図」でしょう。 この阿弥陀図をもとにして、折口信夫は『死者の書』を書きました。また、この図にまつわる不思議なエピソード、そして阿弥陀像と日本人の信仰心について「山越しの阿弥陀像の画因」という文章に残しています。   どんな不思議よりも、我々の、山越しの弥陀を持つようになった過去の因縁ほど、不思議なものはまず少い。誰ひと り説き明すことなしに過ぎて来た画因が、為恭の絵を借りて、えときを促すように現れて来たものではないだろうか。そんな気がする。 私はこういう方へ不思議感を導く。集古館の山越しの阿弥陀像が、一つの不思議を呼び起したというよりも、あの弥陀来迎図を廻って、日本人が持って来た神秘感の源頭が、震火の動揺に刺激せられて、目立って来たという方が、ほんとうらしい。(「山越しの阿弥陀像の画因」より)   「山越しの阿弥陀像の画因」は青空文庫にもありますので、こちらで読むことができます。  
↑重要美術品「山越阿弥陀図」冷泉為恭 江戸時代・文久3(1863)年   さて、著者の冷泉為恭は大和絵を得意とする画家ですが、あkの公家の冷泉家との関係はありません。本人が勝ってに名乗っただけで、狩野永泰の三男です。関白・九条尚忠に仕える近侍でしたが、過激な尊王攘夷派から文久2年8月に命を狙われ逃亡。紀伊国の粉河寺で9ヶ月潜伏しました。しかし尊王攘夷派の厳しい追跡のため、元治元年5月5日、伊賀の鍵屋の辻で、長州藩の大楽源太郎らによって捕縛されて殺害されました。享年42歳でした。 今回の展覧会のパンフレットを見ても、霊験あらたかな阿弥陀像というよりも、なんとなく極彩色でファンキーなイメージを感じてしまいます。あの仏画独特の古色然とした威厳のような印象とは異なります。しかし、実際に見ると、それぞれの色彩の深みを感じることができます。立体ではなく絵画作品として、これほど図版と実物の印象が異なる作品も、珍しいように思います。ぜひ、実物を見ていただきたい1点です。 この阿弥陀像が展示されている「欣求浄土 ~ピュア・ランドを求めて ―大倉コレクション 仏教美術名品展―」は大倉集古館で9月26日まで開催中です。

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